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読谷人物伝

軍政下の苦悩 比嘉秀平

祖国復帰の父 屋良朝苗

1.幼かったころの日々 −読谷山瀬名波に生まれて−

2.畑の中ですごした少年時代

3.あこがれの師範へ

4.寄宿舎生活から高等師範へ

5.物理の教師として

6.身体をぶつけて生徒を教育

7.ふるさとは見る影もなく

8.文教部長として教育の復興に力を注ぐ

9.教職員会会長として −沖縄の教育復興−

10.主席公選実現までの長い闘い

11.公選主席として

12.鈍角の闘争

13.新生沖縄県にむかって

14.戦後初の知事

15.沖縄振興開発と県民

16.波乱と苦難の8年

17.埋め立て竣工認可

18.県民よ希望を持とう

 

17.埋め立て竣工認可

■解説文

 屋良知事のCTSの認可をめぐって企業側の賠償問題や県民の反対運動などで紛糾していきました。裁判問題まで発展し、苦渋の選択をせまられました。
 金武湾を守る会の集団団交を拒否し、警察力を導入したことで退陣を要求する声は高まっていきました。革新与党3党の代表と話し合いをもち「四面楚歌・孤立無援の心境である。裁判で判断してもらい、選挙で県民の信を問いCTSに審判をくだしてもらいたい」と屋良知事は主張しましたが、「かえって混乱するから辞表は受理できない」と、会談は物分かれになりました。12月に岡山県の倉敷市で水島コンビナートの製油所で、重油が流れだし水島港から瀬戸内海まで流出する事故が発生し、安全性への疑問や石油企業への不信感が社会的に広がっていきました。
 1975年、那覇地裁でのCTS裁判の判決で県の主張は認められました。屋良知事は「判決を厳粛に受け止め、県内各界、各層の声に耳を傾け、知事がとるべき処置を早急に検討、結論を出したい」と延べ、認可せざるをえないと結論を出したのです。
 知事在任中、苦しみ続けたCTS問題、与党各党とのコンセンサスは得られませんでしたが屋良知事は県と村当局に「良心的、かつ細心綿密な公害防止協定の締結、優秀な公害監視の機動設置の完備、県民に不利益・不安を与えないよう最善の行政的努力」を望み、企業に対しても地元村民の理解納得を得ること強く要請したのです。

■写真解説

日本各地で発生したおもな公害

CTS

知事室にデモ隊が乱入

 

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更新日:2008年3月18日