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読谷人物伝

軍政下の苦悩 比嘉秀平

祖国復帰の父 屋良朝苗

1.幼かったころの日々 −読谷山瀬名波に生まれて−

2.畑の中ですごした少年時代

3.あこがれの師範へ

4.寄宿舎生活から高等師範へ

5.物理の教師として

6.身体をぶつけて生徒を教育

7.ふるさとは見る影もなく

8.文教部長として教育の復興に力を注ぐ

9.教職員会会長として −沖縄の教育復興−

10.主席公選実現までの長い闘い

11.公選主席として

12.鈍角の闘争

13.新生沖縄県にむかって

14.戦後初の知事

15.沖縄振興開発と県民

16.波乱と苦難の8年

17.埋め立て竣工認可

18.県民よ希望を持とう

 

15.沖縄振興開発と県民

■解説文

 沖縄の振興開発計画が立てられ、その一つに沖縄国際海洋博覧会がありました。1975年に海をテーマにし、本部半島に国際的なリゾートゾーンを形成し、沖縄の観光拠点にする目的でした。そのころの沖縄は異常な物価高騰・土地の買い占め・公害・農水産業の危機・資材不足・乱開発・交通問題などさまざまな悩みを抱え、それは県民の暮らしにも大きく影響していました。経済環境の変化は沖縄だけでなく、石油ショックという国際・国内の激変から派生した現象でもありました。会場用地取得では地主たちを説得し、高速自動車道の建設、海洋博など困難を乗り越えて関連施設は完成にこぎつけたのです。屋良知事は「多くの人の力の結集で偉大な力が創造でき、創造した力で難事業の海洋博の準備も整えられた。沖縄はまだ多難な課題を抱えている。・・・」と語り、人々の深い関心と理解・各分野、専門家の力を結集できたことに感謝の言葉を残しました。
 海洋博は社会基盤の整備・観光産業の施設整備・道路や街の美化・流通機構の改善などと海への関心・伝統文化の発掘など沖縄の歴史・文化を内外の人々に紹介したことで大きな成果をもたらしました。

■写真解説

海洋博覧会会場

沖縄自動車道

沖縄海洋博の「読谷の日」

 

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更新日:2008年3月18日