■解説文
当時の屋良家は兄が軍隊に入っていたこともあり、家を手伝う働き手が足りませんでした。小学校を卒業した朝苗は高等科への進学もかなわず畑の手伝いをすることになりました。畑は通学路に面していたので学校に通う小学生の姿がみられました。学校に通いたいという気持ちは膨らみ押さえきれずに、畑仕事の手を休めてさめざめと泣きだした朝苗を見た義姉は家に帰って父親に話しました。家でも高等科に進学させねばと話し合っていたときに、先生がきて学期の途中から入学することができました。高等科へ進学した朝苗は学校に行く前の朝早く家の手伝いをして、帰ってからも畑で働き農家の手伝いをしていました。これ以上進学はできないと思っていたので学校の帰りに時には相撲をしたりしていましたが高等科一年のとき、沖縄で飛行機が飛ぶというのでみんなで見学に行きました。朝苗少年の心は科学への興味に心がふくらみました。 高等科の卒業のとき、進学できないさびしさに校舎をみつめ別れを惜しみました。屋良の家は年老いた両親を助け兄たちが手伝っていましたが、厳しい地形と不便な立地にある畑は苦労も多く、みんなで力を合わせなければ生きていけませんでした。それでも、厳しい仕事の合間に先生たちが教えていた夜学校に通い、兄たちから農業をみっちり教えられ、鍛えられました。 農業を手伝って2ケ年半くらいしたとき転機がきました。苦学して教師の道を歩いた当山真志先生(先生は、かって母校の使丁をしながら検定試験に合格。訓導となって母校に赴任していました)が「朝苗を渡慶次小学校の使丁(小使いさん)に」と家に訪ねてきたのです。「勉強の好きな朝苗をこのまま農業でうずめさせてはもったいない」と言ってくれました。 |