■解説文
日露戦争が終結すると、国内は国民の不満がひろがっていました。労働運動や婦人運動は生活向上・参政権を求めて活動が活発になり、企業の労働者たちはストライキをおこし、労働争議が各地でおこりました。1日12時間にもおよぶ労働や労働環境の悪さに労働組合がつくられ、社会主義者たちによる社会民主党が結成されました。しかし、政府は治安警察法によって社会民主党を禁止し、機関誌『日刊平民新聞』の発行も禁止しました。 日本政府はロシアからうばった東清鉄道をもとに1906年南満州鉄道(満鉄)をつくり、その沿線に軍隊を配備しました。満鉄と内地の鉄道を結ぶことで軍需産業を中心とする重工業は発展し軍艦などはほとんど国内でつくられるようになりました。また、紡績業は著しく発展し機械制工業が確立していきました。1907〜8年の恐慌では、破産した会社・銀行は大企業に吸収合併され独占資本が成立していきました。また、農業では自給自足農業から政府の増産増産政策の押しつけで小作地が増え、地主への土地集中がすすみました。社会主義者たちへの弾圧の機会をねらっていた政府は、幸徳秋水らを逮捕し非公開で証拠も示さないまま死刑判決をくだし、国民に社会主義への恐怖をうえつけました。世界的には非難の声がありましたが、国内では批判することは許されませんでした。社会主義と労働運動を弾圧するために特別高等警察(特高)がおかれ、『社会』と名のつく書物はすべて発売を禁止されました。 韓国を併合した(1910年)日本政府は朝鮮(大韓国の国名を朝鮮に改称)でも日本語の普及を重視し、同化主義教教を強制しました。ヨーロッパでは三国協商(英・露・仏)と三国同盟(独・墺・伊)の対立が激化し、オーストリアの皇太子が暗殺されたことで第一次世界大戦が始まりました(1914年)。日本は日英同盟を口実にドイツに宣戦布告し参参戦、勝利するとドイツから中国大陸の山東省の青島・赤道以北の南洋諸島を占領しました。清国に「対華二十一ヶ条要求」をつきつけ、権益の拡大と経済特権を獲得しました。このことは清国の人々の反発をうみ、排日運動のきっかけとなりました。 世界の列強に肩をならべた日本は、パリで開かれた講和会議で平和維持の国際的機構として創設された国際連盟に加盟しました。第一次大戦のときの好景気は長続きはしませんでした。戦後の日本経済は恐慌におちいり、とくに農産物の価格が暴落し農村社会の疲弊は深刻でした。沖縄では砂糖の価格が暴落し、ソテツの実や幹を食べて飢えをしのぎました。ソテツ地獄といわれた窮状は、出稼ぎや移民をする人々の数を増やしました。 |