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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

テーマ1:広く −琉球処分−

テーマ2:広く −帝国主義の展開−

テーマ3:広く −第一次世界大戦と日本の情勢−

テーマ4:広く −アジア・太平洋戦争への道−

テーマ5:広く −第二次世界大戦−

深く

 

4.パリ講和会議(ベルサイユ条約)

■解説文

 1919年フランスのパリで、米・英・仏・伊・日が主体になって開かれた会議。第一次世界大戦後の帝国主義体制の再編成で、アジア・アフリカの反植民地主義の抑圧とドイツの戦争責任への賠償金・全植民地の剥奪などが締結されイギリス・フランスなどに有利に進められました。ウィルソン(米)の主張した「14か条の原則」は理想主義としてゆがめられましたが、「諸国家の連合組織形成」と「民族自決」の原則は実現しました。
 ベルサイユ条約によって創設された国際平和機構である「国際連盟」は国際協力を促進し、国際の平和と安全を維持することを主目的としたもので、全世界の国と機関を目標につくられた国際平和機関でした。しかし、アメリカが加盟しなかったことや中国が調印を拒否したこと、ドイツに大きな不満を残したことなどで国際連盟の権威は尊重されませんでした。極東および環太平洋の問題はワシントン会議(21・22)で諸条約が締結され、第一次世界大戦後のこの地域の国際秩序をワシントン体制とよびました。

■写真解説

第一次大戦後のヨーロッパ

国際連盟

軍縮会議による各国の軍艦比率

 

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更新日:2008年3月18日