■解説文
第一次世界大戦が勃発して、列強国の関心がヨーロッパに集中しているすきに、日本は「大正新時代の天祐(天のたすけ)」として中国のドイツ領山東省を制圧し、1915年(大正4年)、日本政府(大隈重信内閣)は秘密裏に中国に対して5項目からなる「21カ条の要求」をつきつけました。その要求は1) 山東省におけるドイツの利権をすべて日本がうけつぎ、山東省に鉄道をつくる権利を日本に与えること2) 旅順・大連地区の租借権と南満州・安奉両鉄道の租借権をさらに99年間延長し、東部モンゴルを日本の勢力圏とすること3) 南満州及び東部モンゴルにおける鉱山の採掘権を日本が独占すること4) 中国の沿岸の港湾と島々を外国に割譲したり貸与しないこと5) 中央政府の政・財・軍に日本人顧問をおく、中国の警察に日本人を採用、中国軍の兵器の大半を日本から輸入するか、兵器を取り扱う役所を日中合弁にすることなどでした。この要求は「満蒙」における日本の既得権を広げ、中国を日本の支配下におこうとする帝国主義日本の露骨な政策でした。 日本の要求に対して、中国の人民はいきどおり、各地で日本商品の排斥など激しい運動がおこりました。また、英・米両国政府がとくに5号にはつよく抗議したことと中国の民族的な抵抗運動におされ、日本政府は5号を撤回しました。兵力を増強した日本は、その武力を背景に中国政府にせまり要求を受諾させました。中国はこの日を「5・9国恥記念日」として、抗日運動は高まっていきました。 |