■解説文
第一次世界大戦の戦後恐慌にはじまる不況は、全国におよびましたが、農産物の価格の暴落は、とくに農村社会に大きな打撃を与えました。長期不況の影響は沖縄においても深刻で、生産基盤の弱い県経済は壊滅的な状況におかれました。県民の生活は困窮し税の滞納や教員・吏員の給料の遅配と不払い、銀行の統廃合、出稼ぎ・移民の増加、欠食・欠席児童がふえ、子・女子の売買もおこなわれました。食べる物がなくなった家では、飢えをしのぐため毒性の強いソテツまでも食べている窮状が『沖縄朝日新聞』に掲載され「ソテツ地獄」として内外のジャーナリズムに伝えられました。一家が同じ食物を口にするため、毒にあたると一家全滅になり、その悲惨さが人々の心に深くしみこんだのです。 恐慌は民衆を困窮に追込みながら、経済においては近代的に再編されていきました。製糖工場は近代化され、農村では階層分化をより一層顕著にし、地主はより多くの土地を持つようになりました。その一方で出稼ぎ・移民をする人々も増え、労働市場は拡大され県民も県外・海外に移住し、さまざまな社会運動や思想も流入することになりました。 |