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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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6.第二次世界大戦

■解説文

 第二次世界大戦は、1939年にドイツがポーランドに侵入し、これにたいしてイギリス・フランスがドイツに宣戦布告をしてはじまりました。帝国主義国のあいだで植民地を争奪しあい、侵略主義者にたいする民族解放の戦い、ファシズムと民主主義の戦いなどそれぞれの国の複雑な事情が絡み合い世界的な規模で戦争が展開されました。
 1941年12月8日、日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、一時間後にアメリカへ開戦通告しました。真珠湾攻撃の一時間前にはマレー半島のコタバルに上陸していた日本軍はイギリス軍と戦い、タイに侵攻し交戦、アジア・太平洋戦争に突入しました。国民が開戦を知ったのは攻撃が始まってから8時間後のことでした。
 日中戦争が長期化して国民の生活は経済的にも、思想的にも圧迫 され挙国一致の精神が強要されていました。緒戦で南方諸島などを占領、スマトラの油田地帯を確保しビルマ方面に進撃し戦線を拡大していきました。しかし泰麺鉄道建設などにおける強引で非人道的な行為は、日本軍にたいしてアジアの人々の反発を大きくしていきました。
 戦争がながびき国内では生活に必要な物資も不足し、物価は高騰、国民の不満は高まっていました。食糧の不足を補うために収穫量がおおく、栽培期間も短く土質も選ばない沖縄100号の植え付けが全国的に奨励され食用・澱粉原料となりました。  太平洋での戦いは42年の夏、ミッドウェー海戦・ガダルカナル島攻防戦において戦局は逆転していました。太平洋の海をアメリカ・オーストラリア軍に奪われ南洋諸島に食糧などの物資を運ぶ輸送船は撃沈され島々に配備された日本軍は悲惨な最後をとげたのです。「絶対国防線」とされていたマリアナ諸島も攻撃され、太平洋戦争の終局となった沖縄に戦闘の場が移っていきました。

■写真解説

第二次世界大戦のころの国際関係

国民生活の窮乏

戦線の拡大

■関連資料

▲より広く

1.マレー半島上陸

2.真珠湾攻撃

3.絶対国防圏

4.パリ講和会議(ベルサイユ条約)

▼より深く

1.挙国一致

2.国民の生活

3.学徒動員

4.学童疎開

5.広島市・長崎市

 

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更新日:2008年3月18日