■解説文
第二次世界大戦は、1939年にドイツがポーランドに侵入し、これにたいしてイギリス・フランスがドイツに宣戦布告をしてはじまりました。帝国主義国のあいだで植民地を争奪しあい、侵略主義者にたいする民族解放の戦い、ファシズムと民主主義の戦いなどそれぞれの国の複雑な事情が絡み合い世界的な規模で戦争が展開されました。 1941年12月8日、日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、一時間後にアメリカへ開戦通告しました。真珠湾攻撃の一時間前にはマレー半島のコタバルに上陸していた日本軍はイギリス軍と戦い、タイに侵攻し交戦、アジア・太平洋戦争に突入しました。国民が開戦を知ったのは攻撃が始まってから8時間後のことでした。 日中戦争が長期化して国民の生活は経済的にも、思想的にも圧迫 され挙国一致の精神が強要されていました。緒戦で南方諸島などを占領、スマトラの油田地帯を確保しビルマ方面に進撃し戦線を拡大していきました。しかし泰麺鉄道建設などにおける強引で非人道的な行為は、日本軍にたいしてアジアの人々の反発を大きくしていきました。 戦争がながびき国内では生活に必要な物資も不足し、物価は高騰、国民の不満は高まっていました。食糧の不足を補うために収穫量がおおく、栽培期間も短く土質も選ばない沖縄100号の植え付けが全国的に奨励され食用・澱粉原料となりました。 太平洋での戦いは42年の夏、ミッドウェー海戦・ガダルカナル島攻防戦において戦局は逆転していました。太平洋の海をアメリカ・オーストラリア軍に奪われ南洋諸島に食糧などの物資を運ぶ輸送船は撃沈され島々に配備された日本軍は悲惨な最後をとげたのです。「絶対国防線」とされていたマリアナ諸島も攻撃され、太平洋戦争の終局となった沖縄に戦闘の場が移っていきました。 |