■解説文
中国戦線の拡大と長期化による軍事費の負担は国家財政も危機にし、働き盛りの人々は徴兵され戦場に赴き死傷し、国内では物資が不足となり、配給制度による統制は「隣組」組織をとおして日に日に厳しくなっていきました。「贅沢は敵だ!」の掛け声のもと、国防婦人会・隣組などが監視し、全国民が神社を参拝、贅沢品の製造販売を禁止しました。女性の高価な服装・指輪・化粧・パーマなどが贅沢品としてみなされ、鶏卵・醤油までが統制の対象になりました。統制の強化は価格の高騰となり闇物資がでまわり、国民の生活をより苦しめました。 戦争遂行のため「欲しがりません勝までは」を合い言葉に、5〜10戸くらいをまとめた隣組をとおして、国民生活の末端まで監視し国策を遂行していったのです。貯蓄や国債が割り当てられたり、出兵兵士の見送りや遺族・留守家族への援助にくわえて防空訓練など当時の婦人たちは毎日とても忙しかったと語っています。 国のために死ぬことを強要され、靖国神社に祀られることを名誉としながらも、街角では布に千人の女性が1針ずつ赤い糸で縫い付け縫玉をつけた千人針をこいねがう女性たちがいたのです。夫や息子たちの武運長久と安泰を願い戦場にもたすために必死だったのです。 |