■解説文
太平洋戦争の戦局が敗退に転じるなか、日本の防衛線として絶対に確保しなければならない範囲を「絶対国防圏」として策定しました。1943年9月には北は千島列島からマリアナ諸島・カロリン諸島・西部ニューギニアを経てビルマ(現・ミャンマー)までとしましたが、日本軍は兵力も足りず輸送船も撃沈され米軍の攻撃に撤退をよぎなくされたのです。米軍は中部太平洋を戦域するニミッツ海軍大将とニューギニアを北上しフィリピン奪還をめざすマッカーサー陸軍大将が日本本土攻略にむけて着々と進攻していました。 1944年2月にはマーシャル諸島・パラオ諸島が攻撃され、マリアナ諸島防衛のための戦力・輸送船も米潜水艦の雷撃などでつぎつぎに撃沈されました。6月、米軍はサイパンを包囲し艦砲射撃で沿岸砲台や飛行場、市街を破壊し上陸をしました。サイパン守備隊は玉砕し、残された住民たちは海岸の崖から飛び降りおりるなど悲惨な死に追い詰められました。マリアナ諸島を占領した米軍はサイパン・テニアンなどに基地建設をすすめ、関東地方への爆撃を本格化しました。10月にはレイテ・台湾沖で日本軍は戦艦などに爆撃をうけ多大な損失をだしました。日本軍が策定した絶対国防圏を突破した米軍は、45年2月に硫黄島に上陸し占領しましたが、その激しい地上戦は、悲劇の島・沖縄の戦いの前哨戦だったのです。 |