■解説文
日本を降伏させるために、本土侵攻を想定していたアメリカ軍はアイスバーグ作戦(沖縄攻略)・オリンピック作戦(薩南半島・大隅半島)・コロネット作戦(神奈川・房総半島)を計画していました。45年3月には沖縄攻略が始まり、住民たちは砲弾の嵐にさらされ3カ月におよぶ激戦のなか、軍人を上回る死傷者をだし4人に1人が犠牲になったといわれています。緑豊かな沖縄島は琉球石灰岩がむきだしになり、白っぽい砂埃と焼け落ちた建物の残骸の島となりました。沖縄戦は本土決戦の時期を一日でもひきのばすため、時間稼ぎの場として、捨て石にされたといわれています。日本軍は広げすぎた戦線に兵士を送っていたため、本土では兵力もなく物資もないなかで松代に大本営を移すための堅固な洞窟を堀り、南九州や関東地方などで防御の体制を急いでいました。砲弾も食糧もすべて現地でまかなえという苛酷な状況下で、沖縄の住民たちは軍隊に協力し逃げ遅れ、砲煙弾雨にさらされ追い詰められ悲惨な最期となったのです。 |