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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

テーマ1:広く −琉球処分−

テーマ2:広く −帝国主義の展開−

テーマ3:広く −第一次世界大戦と日本の情勢−

テーマ4:広く −アジア・太平洋戦争への道−

テーマ5:広く −第二次世界大戦−

深く

 

2.真珠湾攻撃

■解説文

 ハワイは1900年にアメリカ領となり、約120の小島群が散在しています。真珠湾はオアフ島にある天然の良港でアメリカが太平洋にむけて権益を広げるため、第一次世界大戦後に本格的な基地化が進められ潜水艦基地が設営されました。太平洋戦争勃発直前にはアメリカ艦隊の母港ともいえる広大な施設が造られていました。
 1941年11月26日に択捉島単冠(ヒトカップ)湾をハワイ作戦機動部隊の艦船が出航しました。
 1941年12月8日未明、日本海軍は真珠湾に奇襲攻撃を加え停泊中のアメリカ太平洋艦隊の艦艇に大損害を与えましたが、貯油施設・技術施設などはほとんど被害がありませんでした。日中戦争は泥沼化し、国内的にも経済がいきづまっていた日本は、アメリカが石油輸出などの許可制を実施してきたため、勝つめどもないうちに太平洋戦争に突入していきました。

■写真解説

ハワイ諸島

真珠湾攻撃

拡大する戦力差

 

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更新日:2008年3月18日