■解説文
沖縄民政府は、沖縄群島における住民側の中央執行機関として設置されましたが、新体制発足後まもなく解消されました。米軍政府は1950年1月に布令を発し「米軍政府に助言する」ことを目的とした「琉球諮詢委員会」を設置し、比嘉はその委員長に任命され「委員会を代表して全面的に米軍に協力し、軍民共同の目的達成に最善を尽くしたい」とあいさつしました。沖縄の長期にわたる軍事占領を続けるため米軍政府は、住民の要求する選挙を実施し、琉球諸島を4つに分割した沖縄本島・宮古・八重山・奄美の四群島として各群島政府における各知事・民政議員を選出することにしました。民主主義体制を願い、要求してきた住民は戦後始めて自身の手で知事・議員を選出したのです。 そのころ、日本国と米国間では講和条約の話し合いがつづけられ、外部から(共産主義)の脅威をたてまえに米国の戦略的利益を確保するため、52年4月28日北緯29度以南は日本から行政分離されることになりました。(53年に奄美・72年に沖縄が返還)極東軍司令部は従来の米軍政府に代わって米国民政府を新しく設置することを指令し、沖縄に臨時の中央政府を設立、主席に比嘉秀平を任命しました。群島政府は52年4月、琉球政府の発足にともない業務は移管され、住民意思を反映することのできる政府組織は短い間で終わりをつげました。 |