■解説文
一月余の訓練で最前線に立たされた少年たちは人間爆弾として爆弾を抱えて敵に突入するという苛酷な運命にたたされました。三中の鉄血勤皇隊は真部山につくと陣地もなく、兵舎もなく、食料さえない山の中で夜を日に撤しての作業がつづきました。伊平屋島沖でアメリカ軍の戦艦に体当たりして命絶える神風特攻隊の姿に自分たちを重ねながら三中の生徒たちは山の中をアメリカ軍に追われるように逃げ回ったのです。6月ごろアメリカ軍は我部祖河・古我地に避難民を収容するキャンプを設営していたので、山中に隠れていた住民たちも下山してきていましたが、その中に比嘉秀平たちもいたのです。英語の堪能な比嘉は、アメリカ軍と住民の間にたちさまざまな問題を解決していました。そのころアメリカ軍は、沖縄住民の行政機関を設置するため、その長にふさわしい人物を探していました。比嘉は恩師の志喜屋孝信を推薦し、その所在を尋ね歩き仲尾で痩せ細った恩師と再会をはたしました。キャンプに着いて教え子たちのつくるフナやカエルのスープで体力を回復した志喜屋は軍政府の求めで、戦後初めての行政機関・沖縄諮詢会の議長に就きました。そのことは戦後の比嘉秀平の運命を大きく変え、教壇を離れ、政治の道をあゆむ一歩となったのです。 |