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読谷人物伝

軍政下の苦悩 比嘉秀平

1.悲運な少年時代

2.学業に励み教師に

3.三中時代

4.戦争への協力

5.捕虜となって

6.諮詢会での活躍

7.志喜屋知事の片腕として

8.社会情勢の変化の中で

9.初代の任命知事

10.屈辱の4・28

11.土地とりあげと島ぐるみ闘争

12.主席として苦悩の中で

祖国復帰の父 屋良朝苗

 

6.諮詢会での活躍

■解説文

 8月下旬に開かれた諮詢会総会で委員長に選ばれた志喜屋は、比嘉をそばに置き、米軍政府が布令や指令など次々に発する文書類を翻訳する仕事をさせました。田井等地域で教育機関を設立する計画をすすめていた比嘉は住まいを石川に移し諮詢会に参加し、志喜屋を助けて米軍政府折衝の通訳などもつとめ日夜忙しく働いていました。 荒廃した沖縄の戦後行政は諮詢会からはじまり、翌年の4月には「沖縄民政府(OCA)」が設立されました。各分野から選ばれた代表によって選出された志喜屋孝信が沖縄民政府知事に任命され、諮詢会の主だった人たちが民政府の役職に就き、諮詢会は解消しました。
 住民が待ち望んでいた沖縄民政府の誕生は、焼き尽くされ、破壊し尽くされた沖縄の再建に米軍政府が協力を惜しまないものと信じ、多くの人たちが喜んだのです。志喜屋知事は就任のあいさつのなかで「禍を転じて福となす覚悟で米軍政府のご好意に感謝しつつ米国文明の利器を体得して戦前の沖縄よりも、よりよき沖縄を建設し、沖縄の黄金時代をわれわれの手によって出現せしむるよう努力して」くれるように住民に呼び掛けました。米軍は沖縄に対して、まだ本当の姿を見せていませんでした。

■写真解説

沖縄諮詢会のメンバー

アメリカ軍による沖縄の統治機構

沖縄民政府知事志喜屋孝信と比嘉秀平

 

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更新日:2008年3月18日