チビチリガマ
チビチリガマは、アメリカ軍の沖縄本島上陸の翌日1945年(昭和20)4月2日、鬼畜(きちく)と教えられたアメリカ兵の残虐な仕打ちを恐れて、肉親相互が殺しあうという凄惨(せいさん)な地獄絵図を現出したといわれる「集団自決」が行なわれた所なのです。 証言では、「アメリカ軍上陸直後に、壕の中から男女3人が竹やりを持って出て行き、男2人が壕の前でバタッと倒れた。すると壕内の住民は絶望感でパニックに陥り、集団死が始まる」とあります。 別の証言では、「火を燃やして窒息死を図ったり、毒薬注射をして死にいたらしめ、注射液が尽きると、鎌や包丁などの刃物で肉親相互が殺し合うという惨劇(さんげき)が繰り広げられた」ということです。 こうして、この洞窟への避難者約140人の内、無辜(むこ)の住民83人が非業(ひごう)の最期(さいご)を遂げたということです。 後に人々は犠牲者の死を悼み、永久平和を祈念して「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を建立しました。 現在、チビチリガマ内部へ入ることは遺族会の意思により禁止されています。ご了承ください。
住所:読谷村波平1136-2
<見学時間の目安> 30分
<駐車場> 無し |
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チビチリガマ1  |
チビチリガマ2  |
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