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読谷村のあゆみ

読谷村のあゆみ

「喜」1−大交易時代へ

「喜」2−読谷山の繁栄

「怒」1−時間稼ぎの捨石作戦

「怒」2−鉄の暴風

「哀」1−太平洋の要石

「哀」2−反基地の闘い

「楽」1−「自治の郷」「平和の郷」の建設

「楽」2−平和のシンボル・世界遺産

 

「楽」1−「自治の郷」「平和の郷」の建設


「自治の郷」「平和の郷」のシンボル・新庁舎

1972年に沖縄の祖国復帰が実現。しかし、沖縄の米軍基地は維持され、今なお米軍関連の事件や事故も少なくありません。さらに、27年間の米軍統治と基地経済という特殊な経済環境の弊害により、沖縄の産業発展は遅れました。読谷村は、独自の外交戦略で米軍と交渉を重ね、米軍基地の敷地内に国体の会場を設置したり、村役場を建設するなど、憲法に基づく民主主義の実現を目指して、「自治の郷」「平和の郷」建設に向け日々努力を積み重ねているのです。その不屈の闘いは、生命を奪われ土地を奪われた、理不尽な体験から得た貴重な教訓に学び、実践する闘いでした。

 

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更新日:2008年3月18日