1972年に沖縄の祖国復帰が実現。しかし、沖縄の米軍基地は維持され、今なお米軍関連の事件や事故も少なくありません。さらに、27年間の米軍統治と基地経済という特殊な経済環境の弊害により、沖縄の産業発展は遅れました。読谷村は、独自の外交戦略で米軍と交渉を重ね、米軍基地の敷地内に国体の会場を設置したり、村役場を建設するなど、憲法に基づく民主主義の実現を目指して、「自治の郷」「平和の郷」建設に向け日々努力を積み重ねているのです。その不屈の闘いは、生命を奪われ土地を奪われた、理不尽な体験から得た貴重な教訓に学び、実践する闘いでした。 |