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読谷村のあゆみ

読谷村のあゆみ

「喜」1−大交易時代へ

「喜」2−読谷山の繁栄

「怒」1−時間稼ぎの捨石作戦

「怒」2−鉄の暴風

「哀」1−太平洋の要石

「哀」2−反基地の闘い

「楽」1−「自治の郷」「平和の郷」の建設

「楽」2−平和のシンボル・世界遺産

 

「哀」1−太平洋の要石


米軍海兵隊らのパラシュート降下訓練

焦土の中から、沖縄の戦後がスタート。ようやく戦後生活の基盤を築いた頃、1950年6月から朝鮮戦争が始まり、沖縄では米軍の基地拡大が顕著になりました。住民の意志を無視した土地接収が行われ、沖縄各地で県民の財産が理不尽に奪われていったのです。1952年にサンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約が結ばれ、沖縄は日本から法的に分断されてしまいました。60年代のベトナム戦争、以後の世界各地での紛争に介入する米軍は、沖縄を「太平洋の要石」と呼び、世界の最前線と直結する軍事基地として沖縄を利用してきました。

 

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更新日:2008年3月18日