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読谷村のあゆみ

読谷村のあゆみ

「喜」1−大交易時代へ

「喜」2−読谷山の繁栄

「怒」1−時間稼ぎの捨石作戦

「怒」2−鉄の暴風

「哀」1−太平洋の要石

「哀」2−反基地の闘い

「楽」1−「自治の郷」「平和の郷」の建設

「楽」2−平和のシンボル・世界遺産

 

「哀」2−反基地の闘い


米軍基地反対の集会に結集した村民

戦後一貫して米軍基地は拡大強化され、基地の村「読谷」では、今でも生まれ育った故郷の土地に戻れない人々がいます。米軍の砲火で崩れ落ちた座喜味城跡も、米軍ミサイルのレーダー施設として使用されました。村民の暮らしは常に米軍の動きと隣り合わせの状態でした。さらに、米軍演習による事故や、米兵による事件・事故も多発、人権を無視し人命を奪う米軍基地に対して、読谷村民は正面から対峙し、一貫して反基地の闘いを村民をあげて取り組んできたのです。永年の闘いの結果、1972年5月15日、沖縄は日本復帰を果たします。しかし、米軍基地は未だ沖縄に居座り続けているのです。

 

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更新日:2008年3月18日