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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

テーマ1:深く −琉球処分−

テーマ2:深く −帝国主義の展開−

テーマ3:深く −第一次世界大戦と日本の情勢−

テーマ4:深く −アジア・太平洋戦争への道−

テーマ5:深く −第二次世界大戦−

 

3.沖縄の自由民権運動

■解説文

 沖縄の自由民権運動は謝花昇を中心にして、当山久三や神谷正次郎らが〈沖縄倶楽部〉を1899年に結成し運動がすすめられました。『沖縄時論』を発行するなどして農村青年たちに影響を与えました。運動は参政権の獲得・奈良原繁知事の県政への批判・旧慣温存政策への反対でした。県知事の弾圧や旧支配階級の妨害などで2年たらずで解散しましたが自由民権思想は青年や労働者たちに影響をあたえ、のちに労働運動の高まりへと発展していきました。
 謝花昇
 1865年東風平村に生まれ、少年時代は農業の手伝いのかたわら学問にも興味をもち、農民の子供としては特別に筆算稽古所に通うことが許されたと伝えられています。東風平間切の按司地頭義村朝明にみいだされ、首里の士族屋敷への奉公をしながらしつけと学問を身につけました。ここで謝花は精神形成などにおいても大きな影響をうけたようです。東風平小学校から師範学校へとすすみ優秀な成績をおさめました。沖縄県の第一回県費派遣学生(5人)として東京に行き、学習院・東京山林学校・東京農科大学で学問をし、沖縄県庁の役人となりました。杣山問題などで県知事と対立し、県庁をやめ在野の立場で貧困と差別のなかにおかれた当時の人々に自由民権の思想を広めました。社会情勢は厳しくなり、自由民権運動は苦しい立場においこまれ、44歳の若さで亡くなりました。

■写真解説

謝花昇の銅像

第一回県費留学生

謝花らが発行した『沖縄時論』

 

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更新日:2008年3月18日