サイトマップ

 文字を大きくするには

トップページ 常設展示室 読谷人物伝 ライブラリー 旅行ガイド クイズラリー アンケート
文字サイズ文字色変更が行えます。

常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

テーマ1:広く −琉球処分−

テーマ2:広く −帝国主義の展開−

テーマ3:広く −第一次世界大戦と日本の情勢−

テーマ4:広く −アジア・太平洋戦争への道−

テーマ5:広く −第二次世界大戦−

深く

 

3.南京大虐殺

■解説文

 中国国内で戦線を拡大し南下していった日本軍は、1937年12月首都南京を占領しました。(南京は1927年以来中華民国政府(蒋介石主席)の首都になっていました。日本軍は進撃しながら住民にたいして強姦・掠奪・虐殺を行い約30万人の中国人民を殺害したといわれ、長江には2万人近い死体が流れていたという証言もあります。南京では4万人以上が殺害され、その大多数は婦女子でした。逃げ場を失った住民たちは外交官の建物にも避難し、それを追うように日本兵は欧米の外交官の住宅にも侵入・掠奪をおこないました。日本国民には聖戦として知らされその実態は秘密にされていましたが、全世界には伝えられ憤激をまきおこしました。日本の国民がその実態を知ったのは戦後のことです。
 南京攻略部隊には沖縄戦時“球32軍”の司令官となった牛島の牛島支隊も加わっていました。
 日本軍は鉄道沿線地帯を占領し、南京にかいらい政権を樹立、戦争目的が「東亜新秩序」の建設であることを示しました。日本の中国独占に対して欧米諸国の抗議が集中し、国際社会の中で孤立していきました。

■写真解説

南京大虐殺の地図

南京大虐殺記念資料館の中庭にあるレリーフ

虐殺の一場面

 

前へ 次へ

 

更新日:2008年3月18日