■解説文
中国国内で戦線を拡大し南下していった日本軍は、1937年12月首都南京を占領しました。(南京は1927年以来中華民国政府(蒋介石主席)の首都になっていました。日本軍は進撃しながら住民にたいして強姦・掠奪・虐殺を行い約30万人の中国人民を殺害したといわれ、長江には2万人近い死体が流れていたという証言もあります。南京では4万人以上が殺害され、その大多数は婦女子でした。逃げ場を失った住民たちは外交官の建物にも避難し、それを追うように日本兵は欧米の外交官の住宅にも侵入・掠奪をおこないました。日本国民には聖戦として知らされその実態は秘密にされていましたが、全世界には伝えられ憤激をまきおこしました。日本の国民がその実態を知ったのは戦後のことです。 南京攻略部隊には沖縄戦時“球32軍”の司令官となった牛島の牛島支隊も加わっていました。 日本軍は鉄道沿線地帯を占領し、南京にかいらい政権を樹立、戦争目的が「東亜新秩序」の建設であることを示しました。日本の中国独占に対して欧米諸国の抗議が集中し、国際社会の中で孤立していきました。 |