■解説文
読谷村には古窯「喜名焼」がありましたが、琉球王朝時代の王府の命令で各地の陶工が壷屋(現在の那覇市壷屋)に集められたため喜名焼は途絶えてしまいました。1972年金城次郎氏(85年人間国宝に認定)を招致し、78年に返還されたアメリカ軍不発弾処理場の跡地に「やちむんの里」をつくりました。「里」づくり構想に呼応した山田真萬氏ら4人の陶芸家を集め、沖縄の伝統的なやちむん(焼き物)のあり方を求めて共同の登り窯をつくり、若手の陶工も呼び、現在では40人以上の陶芸家によって里がつくられ製品も販売しています。現在は琉球ガラスの工房もあり、文化の里として広がってきています。94年には村立陶芸研修所が開設され、直接やちむんに触れることのできる環境づくりもすすめられています。 |