■解説文
軍用地に接収されて半世紀以上が経ち、元集落のことを知る人が少なくなっています。地域内の情報を正確に整理し、字誌編纂や軍用地の跡地利用構想に向けての取り組みが期待されています。「長田」は廃藩置県後、山間地に入植した屋取(ヤードゥイ)の集落で、明治29年に行政区が発足、米・養蚕・茶の栽培が盛んでした。戦後は字全域が嘉手納弾薬庫に接収され 現在地の大木およびその周辺に移り住んでいましたが、その後各地に転居し往時の人々は少なくなりつつあります。ふるさと発見活動の一環として、1995年には旧長田の民俗地図が完成しました。「牧原」は琉球王府時代の牧(牧場)で、そこに入植してできた集落です。明治期には溜め池・トロッコ軌道・農道など県下初の圃場整備が行なわれ、農業の先進地として活況を呈しました。戦後は字全域が嘉手納弾薬庫に接収されたため、現在地の伊良皆および比謝あたりに住んでいます。 読谷村内では規模の小さい区ですが、"ふるさと発見活動"などを通して区民が一致協力し、未来にむけて始動しはじめています。 |