■解説文
1945年3月下旬、沖縄本島西海岸には海面が見えないほどの艦船が集結し、上陸前に4万発の砲弾が打ち込まれました。4月1日、読谷村の渡具知の浜から上陸したアメリカ軍は、住民が隠れた避難壕の一つ一つを探し出し捕虜としました。怯える住民たちの中には「アメリカーに殺されるよりは、自分たちで・・・」と死の道を選んだ人もいました。村では村民の沖縄戦の体験を聞き書きし、『広報よみたん』に連載しました。また、字では「慰霊の塔」を建立し、戦争で亡くなられた人たちを祀り、建立経過等を刻みました。読谷村には15の慰霊の塔(喜名・座喜味・伊良皆・波平・高志保・渡慶次・儀間・宇座・瀬名波・長浜・楚辺・渡具知・大湾・大木・比謝矼)があります。 |