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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

テーマ1:返還された軍用地

テーマ2:基地被害 −終わらない戦後−

テーマ3:村民主権 −基地撤去の闘い−

テーマ4:文化による外交

テーマ5:平和の炎が立ち上がる −軍用地の跡地利用−

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

 

9.読谷補助飛行場−2

■解説文

 ○ 運動公園ゾーン
<スポーツ施設ゾーン>
 スポーツは地域住民の健康の維持推進と心身のリフレッシュをもたらす重要な活動で、近年、健康意識の高揚や自由時間の増大などの社会変化にともない、スポーツに対する関心は高まっています。この地域には、運動広場・多目的広場・平和の森球場・勤労者体育センター・テニスコート等の公共施設があり、1988年に行なわれた海邦国体では少年男子ソフトボールの会場に使用されました。村民の願いに応えるためさらなるスポーツ施設の充実も検討されています。
<まつり広場> 
 村民運動広場をメイン会場に「よみたんまつり」が開催されます。読谷村の歴史・文化を総合的に発表する場として、赤犬子琉球古典音楽大演奏会・創作「進貢船」・残波大獅子太鼓等の新しい文化も生まれ、文化活動も大きく発展しその拠点となっています。よみたんまつりの開催は、読谷村が掲げる「人間性豊かな環境・文化村」を継承し、各集落の伝統芸能の復活を促すとともに、村民に自信とロマンを与え、読谷村の文化創造に貢献しています。
○ 行政地区
 戦後、収容所生活を余儀なくされた村民が、読谷山建設隊を組織し、1946年に第一次として5千人の村民の受け入れをし、移動完了したのが48年でした。当初、村内の移動許可は波平・高志保の一部に限られていました。戦後行政は、「読谷村の美しい自然と豊かな伝統文化を保存継承しながら新たな創造を進める」べくスタートしました。95%が基地に占められるという厳しい中をたくましく生き、相互扶助の精神で地域を復興発展させてきましたが、その道のりは役場の敷地をおわれるなど、苦難の52年間でした。1997年4月、村民が長年夢みてきた村役場が自治の殿堂として村の中心に完成したのです。21世紀に向けた村づくりの拠点として、今後も村民と力を合わせ、平和の郷・読谷村を築いていきたいものです。

■写真解説

平和の森球場

よみたんまつり

読谷村役場

 

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更新日:2008年3月18日