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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

テーマ1:返還された軍用地

テーマ2:基地被害 −終わらない戦後−

テーマ3:村民主権 −基地撤去の闘い−

テーマ4:文化による外交

テーマ5:平和の炎が立ち上がる −軍用地の跡地利用−

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

 

6.トリイ通信施設(一部)

■解説文

 〈公共公益施設整備事業等〉
○ 古堅南小学校(1980年4月7日開校) 古堅南小学校敷地は、戦前の古堅尋常高等小学校ゆかりの地です。戦争により破壊された校舎が新しくコンクリートの近代的な建物になったのは81年のことです。開放後約1年間は古堅小学校内の余った校舎での学校生活でしたが、81年2月に移転し、40年ぶりに校庭には子供たちの歓声がもどったのです。近年は、宅地整備が進み住宅建設も増えて村外から多くの住民が移り住んでいます。それにともない児童生徒も急増、21世紀に向けての学校づくりをめざし、学級園・実習園を活かした土に親しむ教育や緑につつまれた学園づくりに力を入れています。
○ 比謝川沿岸整備事業(泊城公園整備事業) 比謝川は戦前まで、家畜や物資等を運ぶ船(山原船)が頻繁に往来し、読谷村をはじめ中頭郡における対外的な経済活動の窓口の一つと言える所でした。しかし、沖縄戦で比謝川河口はアメリカ軍の上陸地点となり、基地構築等で河口の集落渡具知などは戦前の姿は見る影もないほどに大きく変わってしまいました。また、近年は海の水質汚染や無秩序な海浜利用などによる汚れが目立ってきています。現在は昔の情景を取り戻すために「リーディングプロジェクト」を導入して海浜の自然型の整備や海浜利用秩序の創出を目指す取り組みが行なわれ、戦前の沖縄八景に数えられた場所は、泊城(とまいぐすく)公園として整備されています。

■写真解説

施設の返還状況と新たに開校した古堅南小学校

立ち並ぶ住宅

泊城公園

 

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更新日:2008年3月18日