■解説文
〈公共公益施設整備事業等〉 1974年に返還されたこのアメリカ軍施設には高射砲部隊が配置され、砲台や兵舎等が建設されていました。返還にともない、いち早く医療センターとしての跡地利用計画をたて、村民と一体となってその実現に努力しました。当時、読谷村は無医村で村民は嘉手納町や沖縄市の病院へ通院していました。村民の切実な要望として医療施設の整備は急務となっていました。76年度に用地を購入し、77年度で建設に着手、78年5月には診療を開始しました。また、隣接する地域には、沖縄県社会福祉事業団が主体となって「県立よみたん救護園」「県立都屋の里」がすでに建設されていて波平陸軍補助施設はこの「読谷村診療所」のオープンにより医療・福祉のメッカとなりました。さらに同施設内には、農林漁を営む家々の婦人および高齢者が共同学習・自主的交流・情報交換等を行い、生活改善・農産加工技術の学習等を目的とした農村婦人の家も建設され、健康増進・創作活動等の多目的な活動が展開されています。隣接する公園も含めて福祉ゾーンとしてこれからも充実した施設の建設と地域の発展が望まれています。 |