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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

テーマ1:返還された軍用地

テーマ2:基地被害 −終わらない戦後−

テーマ3:村民主権 −基地撤去の闘い−

テーマ4:文化による外交

テーマ5:平和の炎が立ち上がる −軍用地の跡地利用−

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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3.ボーローポイント射爆場Aサイト(座喜味城跡一帯)

■解説文

 読谷村は段丘の地形をしています。南から北へだんだんと高くなり、その一番高いところに座喜味城跡があります。1420年ごろ、護佐丸(ごさまる)が築いたといわれています。護佐丸は中国・東南アジアとの交易を行い、進んで海外の文化・文物をとり入れていたようです。沖縄戦のとき、この地に日本軍が高射砲陣地を築いたのでアメリカ軍の猛攻をうけ壊滅的な打撃をうけました。戦後はアメリカ軍のレーダー基地として接収されていましたが、1974年本丸にあった基地は全面返還され座喜味城跡総合公園化の事業が本格的に動きはじめました。返還に先立ち読谷村では城跡指定地内用地の公有化・城壁周辺の伐採作業・遊歩道整備工事等が進められていましたが、本土復帰(72年)にともない、国の史跡として指定されたのです。2000年には世界遺産に認定され訪れる人々も増えています。近年では、歴史学習の場として定着する一方、伝統芸能や歌劇等のイベント、フォーラム等の利用が盛んとなり、村民の親しみが増すとともに、この城跡の今日的な利用方法が明らかになってきました。隣接して「歴史民俗資料館・美術館」があり、収蔵資料も豊富で縄文時代から戦前・戦後の暮しまで展示されています。

■写真解説

施設の位置と返還前の座喜味城跡

座喜味の木道

歴史民俗資料館・美術館

 

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更新日:2008年3月18日