■解説文
米軍は、日本政府と交わした安保条約や地位協定をたてに、新たな基地建設や軍事訓練を強行しようとします。地主や村民の立場からすれば、自分達が提供した土地ではないのです。基地の全面返還を目指した読谷の闘いは、日米両政府や地域の米軍ともねばり強く行われました。しかし、道理を尽くして訴えても、日本政府や米軍が耳を貸さないのであれば、アメリカの責任者に訴えようと1977年にジミー・カーター元大統領、1996年にはビル・クリントン前大統領に直訴状を送ったのです。日本国の小さな国の一村長が、直接アメリカの大統領に直訴するというのは前代未聞のことでした。しかし、村民の立場に立てば黙ったまま何もしないではいられないのです。さらに、村の代表団が4回も渡米し、直接アメリカの国会議員や政府高官に対し、基地を抱える地元の生の声を訴えてきました。それは、机上の論理を駆使した受け入れがたい政府判断に対しては、地元としては主権在民の精神で毅然として対応してきたのです。自治体の持つ理想や主張を実践することが地方自治の本旨であり、民主主義をつくることなのだと読谷村は考えているからなのです。 |