■解説文
パラシュート降下訓練による事故は、さまざまな基地被害となって読谷村民の生命・財産を脅かし続けてきました。過去の悲惨な体験が読谷村民を基地反対闘争にふるいたたせ、村ぐるみの反対闘争になっていきました。村民はアメリカ軍の横暴極まる演習事故対策にたいしてメ落下傘演習事故防止対策協議会モ(村議会・各区長・各学校長・教育委員会・村青年会・村婦人会)を結成し、落下傘事故にたいし協議会で抗議文を採択し、これを高等弁務官・空軍司令官・民政府に手渡し、「読谷村民の生命が絶えず危険にさらされている。読谷飛行場での一切の降下演習をやめて貰いたい」と直訴しました。 1965年の「隆子ちゃん圧殺事故」で「村民に迷惑をかけない」「万全な事故防止策を講じる」とアメリカ軍は固く約束しておきながら、翌年、演習中のアメリカ軍機から投下された角材(重さ8.5kg)が民家に落下しました。そのときの村民のショックは大きく、日夜演習の恐怖におののいて生命と財産を脅かされる暮らしから開放されるために、降下演習の一切の中止を要求していくという声が強くなったのです。 |