■解説文
読谷村の中心から西方の東シナ海に面して波平の集落は広がっています。戦前は一部に原野がある程度で、ほとんどが耕地として利用されていました。アメリカ軍に接収された当初は軍需物資の集積所として使用されていましたが、その後、高射砲部隊が配置され砲台や兵舎が建設されました。また、復帰前まで都屋高射砲隊または、波平サイトと称され、沖縄返還協定基地リストA表に「波平陸軍補助施設」として復帰後もひきつづきアメリカ軍に提供されました。この施設については、74年1月の第15回安保協議委員会において、検討後返還される施設として合意され、在沖アメリカ軍の大幅な整理統合の一環として9ヵ月後の10月31日に全面返還されました。 |