■解説文
戦前、この地域は読谷村高志保と長浜の中間部の丘陵に位置し接収前は大半が農耕地として利用されていました。1960年2月、アメリカ軍はこの地域がミサイル基地建設用地としてすぐれているとして、この地域を新たに接収しました。ホーク・ミサイルの沖縄配備計画にもとづき、ホーク・ミサイルの発射台とその関連施設を建設したのです。この基地建設によって高志保と長浜を結ぶ道路の建設を余儀なくされ地域住民は多大な損害をこうむりました。この施設は、1969年ごろから事実上遊休化していて、後に第1特殊部隊の宿舎として使用されていました。沖縄返還協定基地リストA表に基づき、この施設は復帰後もひきつづきアメリカ軍に使用されることになりましたが、74年1月の第15回安保協議委員会において返還について検討する施設として合意され、同年10月に返還されました。 |