■解説文
現在世界遺産の一つに認定された座喜味城は15世紀の前半ごろ、中国や東南アジアと交易をしていたといわれています。美しい曲線の城壁は、石工技術の確かさを示しています。この地は太平洋戦争時の沖縄戦で日本軍の高射砲が築かれていたこともあり、アメリカ軍の猛攻撃をうけ破壊的な打撃をうけました。戦後は占領したアメリカ軍がレーダー基地として接収し使用していました。1971年5月に出された「読谷村経済開発構想」では、座喜味城を中心とするその周辺の環境整備事業計画がたてられ、それに基づき城跡指定地内用地の公有化、城壁周辺の伐採作業、遊歩道整備工事などがすすめられました。1972年5月15日、沖縄の本土復帰にともない国の史跡として指定されました。雑草が生い茂り荒廃したまま放置されていた城跡は国庫補助により環境整備が実施され、アメリカ軍の基地も74年に全面返還され、座喜味城跡の総合公園化の事業は本格化していきました。 |