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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

テーマ1:復興にむけた新たな歩み

テーマ2:村民の戦後生活

テーマ3:行政文書から見た村づくり

テーマ4:米軍にほんろうされた農民 −土地の再接収−

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

 

4.青空教室 −読谷村の戦後教育−

■解説文

 戦争のために沖縄本島北部に避難していた読谷村の人々は、終戦後、村の全域が立ち入り禁止になっていたため帰村できず、各地の収容所に収容されていました。収容所内では、親を亡くした子供たちの心がすさんでいたり、砲弾の下を逃げまどい戦禍を生きのびた子供たちの傷ついた心をいやさなければと、学校も開設されるようになりました。しかし、戦争で全てを失ったため、校舎もなく、教室は大木の木陰等を利用した青空教室や軍から払い下げられた古いテントや古い木材で日陰を作った教室でした。教科書はおろか黒板、鉛筆ノートなど何も無く、ありあわせの板に墨を塗って作った黒板を使い、地面に砂文字を書いて授業を行っていました。音楽の時間は海辺で歌を唄っていました。1946年の8月に波平・高志保区に居住が許可され、村民の移動が始まり、12月には読谷初等学校が開校し、読谷村における戦後教育が始まりました。

■写真解説

青空教室  (沖縄県公文書館提供)

青空教室での授業の様子

渡慶次幼稚園 1953年

 

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更新日:2008年3月18日