■解説文
1945年3月下旬、約3ヶ月にわたる沖縄戦が始まりました。4月1日沖縄本島西海岸の読谷村・北谷村からアメリカ軍が上陸、読谷村全域は占領地と化し、戦争が終わっても村民は自分達の村へ帰ることができませんでした。アメリカ軍が、村内にあった日本軍の北飛行場を拡張・整備し、本土爆撃や東アジア戦略の拠点として基地化していったからです。その後、住民の嘆願等により、村民が初めて帰村を許可されたのは1946年8月のことでした。「郷土読谷ノ建設ニ挺身」するために結成された「読谷山村建設隊」は、理想郷・読谷の建設を目指し、最初に居住が許可された波平、高志保の一部地域(村土の5%)に入り、村民の帰村準備を始めました。同年11月20日、第一次移動の約5千人の村民が故郷読谷の地を踏みました。 |