サイトマップ

 文字を大きくするには

トップページ 常設展示室 読谷人物伝 ライブラリー 旅行ガイド クイズラリー アンケート
文字サイズ文字色変更が行えます。

常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

テーマ1:復興にむけた新たな歩み

テーマ2:村民の戦後生活

テーマ3:行政文書から見た村づくり

テーマ4:米軍にほんろうされた農民 −土地の再接収−

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

 

2.村土の95%が米軍占領地

■解説文

 1945年3月下旬、約3ヶ月にわたる沖縄戦が始まりました。4月1日沖縄本島西海岸の読谷村・北谷村からアメリカ軍が上陸、読谷村全域は占領地と化し、戦争が終わっても村民は自分達の村へ帰ることができませんでした。アメリカ軍が、村内にあった日本軍の北飛行場を拡張・整備し、本土爆撃や東アジア戦略の拠点として基地化していったからです。その後、住民の嘆願等により、村民が初めて帰村を許可されたのは1946年8月のことでした。「郷土読谷ノ建設ニ挺身」するために結成された「読谷山村建設隊」は、理想郷・読谷の建設を目指し、最初に居住が許可された波平、高志保の一部地域(村土の5%)に入り、村民の帰村準備を始めました。同年11月20日、第一次移動の約5千人の村民が故郷読谷の地を踏みました。

■写真解説

1945年のアメリカ軍の占領地(村土の95%)

昭和19年頃の読谷村

昭和20年12月の読谷村

 

前へ 次へ

 

更新日:2008年3月18日