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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

テーマ1:復興にむけた新たな歩み

テーマ2:村民の戦後生活

テーマ3:行政文書から見た村づくり

テーマ4:米軍にほんろうされた農民 −土地の再接収−

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

 

1.小さな村は大きな苦しみをのりこえて

小さな村は大きな苦しみをのりこえて 1945年の4月1日沖縄本島中部の北谷から読谷の海岸にかけてアメリカ軍が上陸した。アメリカ軍は上陸後すぐに読谷村にあった日本軍の北飛行場を占領し、日本本土攻撃のための足がかりとしての基地建設を始め、その後村の全域を占領し、基地化していきました。読谷村の人々は戦後も各地の収容所へと集められ、自分達の村へ帰ることができませんでした。村民達は一日も早く自分達の村へ帰れるようにと願い、仮役所を設置し帰村の準備を整えました。粘り強い嘆願の末、1946年の8月には一部の地域に帰村が許され「読谷山建設隊」が郷土の復興のためにのりこみました。しかし、いったん帰村が許されたもののアメリカ軍の都合で移動させられるなど苦難の道のりでした。1972年沖縄は日本に復帰しましたが、基地は残され、読谷村民の基地撤去のための闘いは今も続いています。

 

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更新日:2008年3月18日