■解説文
1970年12月、コザ市(現沖縄市)の中の町前の県道で、横断中の県民が米兵車両に跳ねられました。9月に発生した米兵による糸満の主婦轢殺事件が無罪となったことや、頻発していた米兵による事件に不満を持っていた民衆は、事故直後から現場に集まってMPの動向を見守っていました。そして、事故処理中、500人以上になっていた民衆に対してMPが威嚇発砲したことから、米軍圧政下での反米感情が一気に爆発したのです。駐車中のMPカーや外人車両82台に次々と放火し、嘉手納基地第二ゲートへ乱入、さらには米人学校への放火など、地域住民をかつてない行動へと駆り立てた大事件となったのです。 |