■解説文
ベトナム戦争の悪化に伴い、米軍は嘉手納弾薬庫と辺野古弾薬庫に致死性の毒ガスを持ち込み始めました。このことは、1969年7月、ガス漏れ事故で24人が病院に収容されたという米国の新聞報道で明らかになり、県民に衝撃を与え、島ぐるみの撤去闘争に発展しました。その結果、米軍はジョンストン島に毒ガスを移送することにし、1971年1月から9月にかけて2回に分けて移送しました。レットハット作戦と称され、地域住民5千人余を避難させ、具志川市の天願桟橋から船積みしたのです。毒ガス貯蔵は、米本国以外の海外では沖縄のみの配備で、戦場に直結する沖縄の米軍基地が浮きぼりになった事件でした。 |