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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

第2展示室:抑圧された占領下の時代

テーマ1:戦後生活の始まり

テーマ2:米軍占領下の沖縄の地位

テーマ3:踏みにじられた命と人権

テーマ4:島ぐるみ闘争(土地闘争)

テーマ5:復帰闘争

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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10.毒ガス移送(1971/沖縄市)−明らかになった毒ガス兵器の存在−

■解説文

 ベトナム戦争の悪化に伴い、米軍は嘉手納弾薬庫と辺野古弾薬庫に致死性の毒ガスを持ち込み始めました。このことは、1969年7月、ガス漏れ事故で24人が病院に収容されたという米国の新聞報道で明らかになり、県民に衝撃を与え、島ぐるみの撤去闘争に発展しました。その結果、米軍はジョンストン島に毒ガスを移送することにし、1971年1月から9月にかけて2回に分けて移送しました。レットハット作戦と称され、地域住民5千人余を避難させ、具志川市の天願桟橋から船積みしたのです。毒ガス貯蔵は、米本国以外の海外では沖縄のみの配備で、戦場に直結する沖縄の米軍基地が浮きぼりになった事件でした。

■写真解説

毒ガス移送

 

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更新日:2008年3月18日