■解説文
1964年、アメリカ政府は遂にベトナム戦争に直接介入しました。翌年、B52は台風避難を理由に嘉手納基地に駐留し、ベトナム戦争の激化に伴って常駐化しました。「黒い殺し屋」とも呼ばれるB52は、沖縄から大量の弾薬を積み、ベトナム爆撃の中心的な役割を担っていました。 そのB52が1968年11月、離陸に失敗し大爆発を起こしました。周辺に住む人々は、また戦争かと逃げ惑い、墜落現場近くの弾薬庫に核兵器が貯蔵されていることから、県民は恐怖と怒りにふるえました。翌年、県知事と政府の合意のもとで2.4ゼネストが中止となりましたが、5万人の住民が集まり怒りの抗議を行ったのです。 |