■解説文
アメリカと旧ソ連との確執が表面化し、朝鮮戦争が勃発する等の極東情勢の急変によって、米国は沖縄を極東の軍事戦略拠点に位置づけました。 そして日本が米軍の極東戦略を積極的に支持できるような独立国にするため、1951年、サンフランシスコ講和条約が締結されました。同条約第3条によって沖縄は日本から分断され、米国の施政下におかれたのです。日米両政府は、日本復帰を願う沖縄の民衆の意思を踏みにじり、沖縄を切り捨てたのです。 それ以降、講和条約の発効された日である4月28日は、沖縄では「屈辱の日」と呼ばれるようになりました。 |