■解説文
日米両軍が浦添から那覇・首里付近で熾烈な戦闘を行っていた5月、石川市の難民収容所では初等学校(現在の城前小学校)が開校しました。教師経験者が集められ、教室も机も椅子も教科書も鉛筆もないままのスタートでした。まさに青空教室と地面に書いた砂文字で授業をしたのです。その後、テント校舎ができ、茅葺き校舎になり、米軍のコンセットが校舎として使用されました。 8月には、軍政府内に教科書編纂所ができ、「軍国主義的、超国家主義的、日本的な教材を除く」という編集方針のもと、教師たちの記憶を頼りに、戦後最初のガリ版刷りの教科書ができました。 |