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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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6.根こそぎ動員 −戦場に駆り出されたひとたち−

■解説文

 沖縄守備軍は、兵員の不足をおぎなうため、防衛召集を実施しました。地上戦がはじまるまでには2万5千人以上が招集され、1万3千人以上が犠牲になったといわれています。
 1945年2月、沖縄県は戦時行政に移行し、県下市町村単位の国土防衛義勇隊を編成しました。男性は17歳から45歳、女性は17歳から40歳が現地召集の対象とされましたが、実際には15歳以下の子どもや60歳以上の老人も含まれていました。
 また、男子学生は「鉄血勤皇隊」や「通信隊」などに、女子学生は「従軍看護隊」として学徒隊に編成されました。わずかな訓練を受けただけで、アメリカ軍上陸直前の3月下旬には沖縄守備軍の各部隊に配属されました。闘いの最前線で軍隊と行動をともにし、追いつめられ、半数以上が犠牲になりました。6月22日までは、学徒を戦場に動員する法的根拠はありませんでした。

■写真解説

3人の捕虜

健児の塔

ひめゆり学徒

 

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更新日:2008年3月18日