■解説文
沖縄守備軍は、兵員の不足をおぎなうため、防衛召集を実施しました。地上戦がはじまるまでには2万5千人以上が招集され、1万3千人以上が犠牲になったといわれています。 1945年2月、沖縄県は戦時行政に移行し、県下市町村単位の国土防衛義勇隊を編成しました。男性は17歳から45歳、女性は17歳から40歳が現地召集の対象とされましたが、実際には15歳以下の子どもや60歳以上の老人も含まれていました。 また、男子学生は「鉄血勤皇隊」や「通信隊」などに、女子学生は「従軍看護隊」として学徒隊に編成されました。わずかな訓練を受けただけで、アメリカ軍上陸直前の3月下旬には沖縄守備軍の各部隊に配属されました。闘いの最前線で軍隊と行動をともにし、追いつめられ、半数以上が犠牲になりました。6月22日までは、学徒を戦場に動員する法的根拠はありませんでした。 |