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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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7.ガマと戦場 −軍人よりも多い住民の犠牲者−

■解説文

 1945年5月下旬、中部戦線で主戦力の8割を失った沖縄守備軍の司令部は、南部へ撤退しました。アメリカ軍は掃討戦を展開し、海からも空からも砲弾をあびせ、緑豊かな丘陵は、石灰岩の白い肌がむきだしになり、家も木も森も全てを焼き尽くしました。
 南部へ逃げた住民たちは、ガマや墓に身をひそめましたが、そこも安全な場所ではありませんでした。日本兵によって食料を強奪され、ガマや墓から追い出された人びともいました。幼い子どもたちの泣き声でアメリカ軍に発見されるという理由で砲弾の中に追い出されたり、スパイ容疑による殺害、自決の強要など、自国の軍人によって命を奪われた人も少なくありませんでした。
 沖縄本島ではアメリカ軍上陸の4月1日に収容所に囲われ、戦後生活をはじめていた住民もいましたが、8月15日すぎても山野を逃げまどっている人びともいました。戦闘に巻きこまれた住民の死者は軍人よりも多かったのです。

■写真解説

伊良皆の壕

平和の礎

水を与える米兵

 

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更新日:2008年3月18日