■解説文
1945年5月下旬、中部戦線で主戦力の8割を失った沖縄守備軍の司令部は、南部へ撤退しました。アメリカ軍は掃討戦を展開し、海からも空からも砲弾をあびせ、緑豊かな丘陵は、石灰岩の白い肌がむきだしになり、家も木も森も全てを焼き尽くしました。 南部へ逃げた住民たちは、ガマや墓に身をひそめましたが、そこも安全な場所ではありませんでした。日本兵によって食料を強奪され、ガマや墓から追い出された人びともいました。幼い子どもたちの泣き声でアメリカ軍に発見されるという理由で砲弾の中に追い出されたり、スパイ容疑による殺害、自決の強要など、自国の軍人によって命を奪われた人も少なくありませんでした。 沖縄本島ではアメリカ軍上陸の4月1日に収容所に囲われ、戦後生活をはじめていた住民もいましたが、8月15日すぎても山野を逃げまどっている人びともいました。戦闘に巻きこまれた住民の死者は軍人よりも多かったのです。 |