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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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4.アメリカ軍上陸と読谷

■解説文

 1945年3月17日、硫黄島を占領したアメリカ軍は、26日沖縄本島の西方40kmにある慶良間諸島に上陸しました。
 日本軍は飛行場守備を放棄し、内陸の丘陵地帯での攻防戦に備えていました。
 アメリカ軍は、沖縄本島上陸前におよそ4万発以上の砲弾を打ち込みました。日本軍の迎撃のないことを確認し、4月1日、本島西海岸の読谷・北谷の浜から上陸を開始しました。北飛行場と中飛行場を占領し、3日には東海岸に進出、沖縄本島を南北に分断しました。
 西海岸沿いに北に向かって進攻したアメリカ軍は、13日には最北端・辺土岬に到達していました。16日、伊江島での激戦は住民を巻き込み、軍・民ともに多くの死傷者を出しました.
 戦闘が続くなか、北部(国頭)一帯では、中南部から避難した住民と地元の住民たちが、マラリアの恐怖と飢餓に苦しみながら山野を逃げまどっていました。
 その上、日本の諜報機関が組織した遊撃隊が住民たちを監視し、捕虜になることさえ許しませんでした。
 読谷村には2月、国頭退去の命令が出ていましたが、艦砲射撃が激しくなった3月下旬、村民はあわてて荷づくりをして国頭に避難しはじめました。しかし、各字(あざ)のガマや亀甲墓などに隠れ、読谷村に残った人たちも少なくありませんでした。

■写真解説

アメリカ軍上陸

米軍上陸の碑

北部の戦闘(米軍の侵攻)

 

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更新日:2008年3月18日