■解説文
1944年夏ごろ、沖縄決戦に備えて全島要塞化が急がれ、沖縄の島々には、多くの軍事物資や兵員が送られてきていました。また、沖縄からは南九州・台湾に疎開する老幼婦女子を乗せた船舶が危険な海に出航していました。 当時、民間船のほとんどが軍に徴用され、兵員や物資を輸送するかたわら、一般住民や南洋引揚者を乗船させていました。 すでに制海権を失った太平洋の海では、戦闘能力をもたない多くの民間船舶がアメリカ軍によって撃沈されました。当時、沈められた船のことは公表が禁じられ、今もなお、遭難船舶犠牲者の名簿は未確定で、遺族に対する補償も行われていないのです。 |