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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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5.国頭(くにがみ)避難 −飢えと病に苦しんだ人々−

■解説文

 1945年2月10日、戦局が緊迫してきたことで10万人の国頭への立退き計画が緊急に決められました。
 山原一帯には、中南部の住民たちが疎開する地域を、各村ごとに割当て、指定地が決められていました。住民たちにとって、知らぬ土地へ移動する不安も大きく、読谷村の人々が北部への避難をはじめたのは、アメリカ軍の艦砲射撃がはじまる3月23日ごろでした。
 山間地で田畑の少ない山原に、大勢の住民が避難したため、たちまち食料はなくなり、口に入るものはすべて食べ尽くしたのです。衰弱した体にはマラリア(伝染病)が襲い、病気や飢餓で死んでいった人たちも多かったのです。中南部から山原に疎開した人々は、およそ3万人だったといわれています。
 読谷村では、国頭村奥間を中心に疎開者をの受け入れをすすめていましたが、避難せず、村に残った住民たちも多かったようです。

■写真解説

北部での避難小屋

国頭疎開

公益質屋跡

 

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更新日:2008年3月18日