■解説文
学童の県外疎開は、原則として国民学校(現在の小学校)の3年生から6年生の男児を対象とし、児童40人に1人の引率教員と、児童20人に1人の世話人(女子中等学校生徒高等科の生徒)が同行しました。 1944年8月21日に那覇港を出発した対馬丸には、学童826人を含む約1700人が乗船していました。22日、夜、対馬丸は鹿児島県トカラ列島悪石島の西方12qの海上でアメリカ軍潜水艦の魚雷をうけて沈められました。 学童767人、乗員乗客717人が犠牲になり、今も暗く冷たい海の底に沈んだままです。学童とその関係者の犠牲者は、那覇市の旭ヶ丘公園内にある「小桜の塔」に祀られています。 |