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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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3.対馬丸の遭難 −犠牲になった学童たち−

■解説文

 学童の県外疎開は、原則として国民学校(現在の小学校)の3年生から6年生の男児を対象とし、児童40人に1人の引率教員と、児童20人に1人の世話人(女子中等学校生徒高等科の生徒)が同行しました。
 1944年8月21日に那覇港を出発した対馬丸には、学童826人を含む約1700人が乗船していました。22日、夜、対馬丸は鹿児島県トカラ列島悪石島の西方12qの海上でアメリカ軍潜水艦の魚雷をうけて沈められました。
 学童767人、乗員乗客717人が犠牲になり、今も暗く冷たい海の底に沈んだままです。学童とその関係者の犠牲者は、那覇市の旭ヶ丘公園内にある「小桜の塔」に祀られています。

■写真解説

小桜の塔

対馬丸

対馬丸の絵本

 

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更新日:2008年3月18日