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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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2.県外への疎開 −心細く暮らした疎開生活−

■解説文

 1944年7月、南西諸島へのアメリカ軍の進攻が必至となり、日本政府は戦闘の足手まといとなる老幼婦女子を10万人県外へ疎開させる計画をたてました。南九州に6万5千人、台湾へ1万人余りが送りだされましたが、九州までの600qの道のりは、アメリカ軍の潜水艦と艦載機の待ち受ける危険な海域でした。
 読谷村でも疎開者の募集が行われましたが、家族と離れて見知らぬ土地へ行く不安から人数が集まりませんでした。結局、学校側の熱心なすすめで、52名の学童が宮崎県の加久藤国民学校へ疎開しました。なれない土地でのくらしは、親元を離れたさみしさと食糧不足や寒さなどで、苦しいつらい生活でした。

■写真解説

疎開した学童

学童疎開 加久藤など疎開地への陸路

加久藤国民学校

 

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更新日:2008年3月18日