■解説文
第二次世界大戦がはじまるころ、全国的に食糧などの生活物資は不足していました。「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵」などの標語にもあるように、窮乏生活のなか、「隣組」を中心として、防空演習が日常になっていきました。人びとは「非国民」と呼ばれるのを恐れ、不平・不満はいえませんでした。しかし、戦況が不利になり、敗退が続いていることは国民には知らされていませんでした。 1944年夏ごろからは、沖縄につぎつぎと軍隊が上陸し、学校・公民館・民家までもが軍施設となりました。住民たちは、飛行場・陣地構築の労働や、軍隊への食糧供出に加え、防衛隊・学徒隊・女子挺身隊など、軍民一体の戦闘協力が強制されました。 |