サイトマップ

 文字を大きくするには

トップページ 常設展示室 読谷人物伝 ライブラリー 旅行ガイド クイズラリー アンケート
文字サイズ文字色変更が行えます。

常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

広く

深く

 

6.住民の戦争への協力

■解説文

 第二次世界大戦がはじまるころ、全国的に食糧などの生活物資は不足していました。「欲しがりません、勝つまでは」「ぜいたくは敵」などの標語にもあるように、窮乏生活のなか、「隣組」を中心として、防空演習が日常になっていきました。人びとは「非国民」と呼ばれるのを恐れ、不平・不満はいえませんでした。しかし、戦況が不利になり、敗退が続いていることは国民には知らされていませんでした。
 1944年夏ごろからは、沖縄につぎつぎと軍隊が上陸し、学校・公民館・民家までもが軍施設となりました。住民たちは、飛行場・陣地構築の労働や、軍隊への食糧供出に加え、防衛隊・学徒隊・女子挺身隊など、軍民一体の戦闘協力が強制されました。

■写真解説

国防婦人会2

木材検収調書

壕作りに動員された国民学校児童

 

前へ 次へ

 

更新日:2008年3月18日