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常設展示室

第1展示室:読谷村と沖縄戦

テーマ1:日本の帝国主義と沖縄

テーマ2:読谷村の戦前の暮らし

テーマ3:迫りくる戦争

テーマ4:疎開と避難

テーマ5:日米の戦闘

テーマ6:住民の集団死

第2展示室:抑圧された占領下の時代

第3展示室:基地の中のむらづくり

第4展示室:基地の中に打ち込んだ文化のくさび

第5展示室:平和村づくりの推進

第6展示室:21世紀グランドデザイン

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2.沖縄守備軍の配備と本土決戦準備

■解説文

 1941年12月8日、日本軍はマレー半島へ奇襲上陸、ハワイの真珠湾に奇襲攻撃を開始し、アジア・太平洋戦争に突入しました。1942年6月には、ミッドウェー海戦で空母4隻などを失い惨敗、輸送路を断たれ戦況は劣勢となりました。
 1943年9月、大本営(戦争指導の最高機関)は「絶対国防圏」を設定し、態勢のたてなおしをはかりました。沖縄を"不沈空母"として、トラック諸島・マリアナ諸島の航空部隊を支援する目的で、読谷・伊江島などに飛行場の建設をはじめました。
 1944年3月には、沖縄守備軍(第32軍)が新設され、沖縄は、本土防衛の前縁として位置づけられました。5月に「皇土ノ防衛ヲ強化ス」の命令が出され、7月にサイパン・テニアンが陥落すると、日本各地で本土決戦の準備がすすめられました。

■写真解説

マレー半島

ミッドウェー海戦の新聞報道

絶対国防圏と沖縄

 

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更新日:2008年3月18日